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Facebook Question180719

日本歴史問題

Q. 以下の文章における空欄A~Cに当てはまる組み合わせとして最も適切なものを次の①~④から一つ選びなさい。

 

1052年、藤原頼道により建立された平等院鳳凰堂の本尊には、阿弥陀如来像が安置されているが、これは( A )が特徴になっている。この技法は( B )によって完成され、仏像制作における( C )を可能にした。

 

① A:寄木造  B:運慶 C:長期保存化

② A:一木造  B:定朝 C:長期保存化

③ A:木芯乾漆 B:運慶 C:分業体制

④ A:寄木造  B:定朝 C:分業体制

 

平等院鳳凰堂(宇治市)
平等院鳳凰堂(宇治市)

答え: 


1052年、藤原頼道により建立された平等院鳳凰堂の本尊には、阿弥陀如来像が安置されているが、これは( 寄木造 )が特徴になっている。この技法は( 定朝 )によって完成され、仏像制作における( 分業体制 )を可能にした。


<寄木造の技法(『詳説 日本史図録より引用)>
 仏師定朝によって完成されたという造像技法。まず、像の各部をつくり出す部材を像の形に組み合わせ、そのまま彫刻する。材を解体した後、各部分の内ぐりを完全に施して厚さを揃え、それぞれを接ぎ合わせて完成させる。
① 多くの仏師による分業制作
② 短時間での大量制作
③ 大型の仏像制作

が可能となった。

 こうした技術が求められたのは、末法思想による影響と言われています。当時は、1052年以降が、仏の教えも消滅する無秩序の世界となると信じられており、極楽浄土に逃れるために貴族らは、仏像や寺院の数で積善を得ようとしました。貴族たちのリクエストに応えるため、定朝を始めとしてこれらの技術が大成されました。

(問題とは関係ありませんが…この時期から仏像の主流が「薬師如来像」から浄土教の「阿弥陀如来像」へと移っていきます。)

 運慶は東大寺南大門の「仁王像」建立で有名ですね。当時、運慶の属する「慶派」は「円派」や「院派」と比較して劣勢であり、仕事の大半も仏像の修理であったそうです。しかしながら、慶派の仏師たちは仏像の修理を通じて、様々な仏像に触れたことで、写実的な衣服や肉付きという他派にはない魅力を得ることができました。